2003年1月21日、私が勤務していたバイオベンチャー、Geron Corporationはレイオフを発表した。そして私もその対象になってしまったのである。初めて経験する解雇宣告。それまでの「明日はわが身」的雰囲気から一転、本当にその日「わが身」のことになってしまった。


実は当社のレイオフは半年前にも一度あったのだが、この時は我ながら見事にかいくぐった。10人ほどのメディシナルケミストリー(医薬化学)グループの同僚全員(その他にも30余名)が去る中、私一人が残ったのだ。しかし今回はかわし切れず、昨年来数名のバイオロジストと共に細々とやっていたプロジェクトがついに解散となってしまった。
皆さんご存知のように、昨今のシリコンバレーはレイオフバレーである。これはIT業界ばかりでなく、バイオ業界も然り。これを書いている2003年6月にもまだ、いくつかのレイオフのニュースが報じられている。しかし考えてみると、日本の大企業には「転勤」という、自分の意思とは関係のない異動があったりする。次の職場と収入が保証されないところが大きく違うけれど、レイオフも転勤と似たところがあるかも知れない、というのは飛躍が過ぎるだろうか。転勤が不満で会社を辞めてしまう人だっているし、レイオフされてもその後もっといい職場が見つかることだってないわけでもないのだし・・・。
1月に話を戻すと、実はいったん宣告された解雇が私の場合のみ一時撤回される事態となった。あまり詳しいことは書けないのだが、一言で言えば社外のビジネスパートナーが当面スポンサーになってくれたのだ。ビジネス的足長おじさんみたいなものである。当面時間的な猶予ができたわけだが、これがいつまで続くかわからなかったのと、いったん気持ちが離れてしまったこともあって転職活動を開始した。私はとにかくシリコンバレーにいたいのである。大袈裟に言えば荒れ狂う不況の嵐に向かってオートロックのドアを開け、鍵を持たずにドアを閉めた気分といったところだろうか。でも何とかなるさという気持ちはあった。そしてせっかくだからこの新しい経験を楽しみながら、この機会にできれば株式未公開のいわゆるスタートアップ企業に参加してみたいと思った。
私は他人が作ったスタートアップへの参加というのも、一種の積極的な投資だと考えている。ファウンダーやCEOがどんな天才だったとしても、社員となって献身的に働く人々がいなければ事業は成り立たない。当たり前だが天才だけでは何もできないのである。そこに弁護士や会計士、投資家などが集まって形を整え、社員を集めて事業を稼動させて初めて何かが起こるという意味で、一般社員たちだってベンチャー企業の必須アイテムなのだ。投資家はお金を入れて事業を育成し、対価に株式を得てキャピタルゲインによるリターンを期待する。個人である私はその会社の実務に必要な能力と労働力を投資する。投資と言う言葉の用法として正しいかどうかわからないが、要するに日々の給料と共にある程度のストックオプションも得て、成功の暁にはやはりそれなりのリターンを期待する。ベンチャーキャピタルは複数の会社に投資してリスクを分散する。私はいくつもの会社に労働力を分散できない代わりに、事業の成否に関わらず一定の給料を得るのである。
さて、最初にしたのはウェブサーチ。ここ数年来インターネットでの求人、求職が急速に広まっている。原則としてオープンポジションは必要なときに必要な数しか出ないので、1ヶ月前ならあったのに・・・、なんてこともよくある。転職はタイミングも命である。私はその時点で、自分に合っていそうなopen position2つをチェックした。次に電子メール。Geronの元同僚を中心に、日本人も含めて同じ業界のできる限りの知り合いに求人情報提供を依頼した。ベンチャー企業における従業員の回転は早く、レイオフがなくてもある程度コンスタントに人が移動している。そういった元同僚、さらに昨年のレイオフにより散っていった多くの元同僚等がこういう時に役に立つ、と言っては語弊があるが、それは事実である。そしてこれが仕事上最も重要な、個人のネットワークでもある。一方JTPAや、同じく昨年発足したJapan Bio Community (JBC) のネットワークを通じて得られた貴重な情報もあった。
そうやって公開および非公開情報から得たバイオベンチャーの求人に対して10社程、レジュメを送った。ほどなく面接の連絡が入り始め、結局5社に面接に行った。おもしろかったのは、ある友人に送ったレジュメがそのまた友人に渡り、さらに別の友人に渡った結果、最後の人の会社が興味を持ったために連絡をもらったケースで、私は間に立っていただいた人には会ったこともないのに、面接まで行ってしまったことである。昨今の雇用状況では面接までこぎつけるのでさえかなり難しい場合も多いのだが、個人の紹介というものの威力を感じた。また時には表立って求人広告を出していない場合もある。知人の紹介を通じてのみ候補者を探したい場合だ。ある会社からはこのような形で面接の機会を得た。上記のいずれも個人のネットワークの重要性を物語る例と言えるだろう。
面接の連絡は通常、まず電話で入る。私がまだ求職中かどうか、さらにその会社に興味があるかどうか確認した上で、日程調整になる。採用側も極力無駄は排除したいのだ。面接はほぼ1日がかりで、相当な人と時間を費やすからである。Ph.D.研究員の場合、まずセミナーをする。これまでやってきた仕事について、差しさわりのない範囲で1時間ほど使ってのプレゼンテーションと質疑応答。その後、採用されれば同僚になる予定の部署の人たちと、一人ずつまたは数人のグループで30分から45分ずつ面談。もちろん上司になる予定の人とも話す。小さめの会社の場合、CEOと会うこともある。概ね応対はフレンドリーで、意地悪な質問などめったにないのだが、全て英語なので(現地企業なので当たり前だが)アメリカ生活2年半、40歳目前の私としてはヒジョーに消耗することこの上ない。しかし考えようによっては、無料(どころかランチ、時にはディナーつき)だがこれ以上ないほど真剣な英会話トレーニングとも言える。何といっても自分の人生がかかった場面なのである。さらに余談になるが、面接に行った5社中1社で、それまで知らなかった日本人研究者と出会うことができた。ITと比べてバイオ業界はさらに現地採用の日本人が少ないのだが、面接に行くことでこうした知り合いを増やすという意外なおまけもあった。
そうこうするうち、2月12日にある会社(D社)がオファーをくれた。いわゆる内定通知である。残念ながらこの会社は私の本命ではなかったのだが、研究担当ディレクター、人事担当、CEO、CFOと毎日のように電話がかかってきて、これでもかとばかりの説得工作を受けた。そこまで私を必要としてくれるのなら・・・とも考えたが、あれこれと回答を引き延ばしているうちに3月8日、私の本命であったAnacor Pharmaceuticalsという会社からオファーの連絡が届いた。そこでD社からの条件も使いつつAnacor社と条件を交渉して、給料もその他の条件も一応納得できるところまできたので、3月下旬、オファーレターにサインした。こう書くといかにもとんとんと話が進んで簡単に決まったように見えるかも知れないが、私のスポンサーとなっていただいていたビジネスパートナーからの慰留や、ちょうど雇用を通じて申請中だった永住権の問題等も含め、考えなければならない要素がたくさんあった。二つの会社の上司と人事担当、ビジネスパートナー、それに移民弁護士も含め、あちらこちらと相談した結果、最終的には6月13日までGeronでフルタイムとして働き、それまでの間4月から夜間パートタイムとしてAnacorでの仕事もスタートすることになった。要するに仕事の掛け持ちである。何事も個人を基本とし、また何事も交渉次第のこの国ではこんなことも可能なのだと知り、けっこう驚いた。直接の競合はないものの、どちらもdrug discoveryという同じ業界の会社なのである。ともあれ掛け持ち期間も無事終了、6月16日にようやくAnacorの正社員となり、結局トータルで5ヶ月近くに及ぶ転職活動が終了した。
ところで誰もが気になる給料などの交渉だが、これは原則としてオファーを得てからである。そこまで到達してようやく、こちら(求職者)側のパワーが増大するからである。現在採用側は選びに選び抜いてあなたにオファーを出す以上、代りの候補者はたくさんいるとは言え蹴られたくはない。その時点で必ず交渉できるので、そこまではお金の話などこちらからは持ち出さず、とにかくオファーを出させることに全力を注がなければならない。
転職というのは縁だ。大切なことは、求人が出ているポジションに自分がどれだけぴったりはまるかということである。もちろん採用側だってこの人ならぴったりだと思わなければオファーは出さないだろうが、自分自身がどれだけそのポジションに合っているかをよく確認しなければならない。Over qualifyということもある。求められる技術や経験を大幅に上回ってしまっている場合も、採用されないということである。また自分がやりたいことやできることと多少違うけれど、とりあえず・・・、などということはやめた方がよい。そうは言っても他に選択の余地がないという場合もあるかも知れないが、そういう場合は短期と割り切り、もっと自分に合う仕事を探し続けるべきだろう。
ベンチャーは浮き沈みが激しい。いい時はいいが、傾いてくるとかなり厳しい状況になるし、実際、簡単に傾く。従って、基本的にひとつの会社で長年働くという前提はないに等しい。時には死にそうに見えた会社が不死鳥のように蘇ることもあるが、いずれにせよ数年で転職というのは当たり前だ。最後に、私なりに感じるシリコンバレーのベンチャーにおける就職、転職のエッセンスをまとめると次のような感じになる。
同じ業界での個人の人脈(ネットワーク)
ポジションの見極め(自分に本当にマッチしているか)
ベンチャーで働きたいか(リスクを楽しめるか)
今回の私のケースはあれこれと例外が多いような気がするが、誰にとっても人生は例外だらけ。就職、転職を考えている方にとって多少なりとも参考になれば幸いである。もっと詳しくと思われる方は私のウェブサイト をのぞいてみてください。
—————————————
赤間 勉 (Akama Tsutomu)
Senior Scientist, Medicinal Chemistry
Anacor Pharmaceuticals, Palo Alto, CA
1989年東北大学工学部応用化学科修士課程修了、協和発酵工業入社。医薬研究所合成G配属。1998年工学博士(新潟大学)。2001年8月よりGeron Corporation。2003年6月よりAnacor Pharmaceuticals。また2003年4月より日本のバイオベンチャー、アフェニックス社のケモインフォマティックス部門社外アドバイザー兼任。この間ずっと、医薬化学(Medicinal Chemistry)研究に従事