日本の大企業ではなかなか思うようにプロジェクトを立ち上げる事ができず、シリコンバレーに来たら出来るようになったというご自身の経験から、その環境の違い、考え方の違いについてお話していただきました。定年退職後に2つの企業をCEOとして立ち上げた曽我弘さんのアグレッシブさを感じることができました。(インタビュー日:2002年6月13日)

プロファイル

1935年生まれ、静岡大学工学部を卒業し,日本電子(株)を経て1958年新日鐵に入社。プロセスコントロール用センサーなどの計測関係の研究に長く携わる。1986年から1991年までの日本での最後の5年間はエレクトロニクス情報通信事業部に所属。1991年シリコンバレーに開発拠点として新日鐵の100%子会社を設立するが親会社の意向により閉鎖される。1996年Spruce Technologies, Inc.を起業、2001年同社をアップルに売却する。2002年4月にSVJEN (Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network)という起業家支援団体も設立した。現在はIMPROVISTA Interactive Music, Inc.にてPresident & CEOとしてマネージメントに従事する。

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インタビュー

Q: 以前のご自身の会社Spruce Technologies, Inc.を立ち上げるまでの経緯を教えて下さい。
A: 新日鐵ではいくつもの新規プロジェクトを手掛けたんですけど、いざ事業が本格的に立ち上がろうとする段階になると、人事の都合で他の担当者に手渡さなければならないことが多く、最後の事業化までを手がける事が出来なかったんです。だから一度自分自身で経験してみようと思い、会社と交渉の末1991年シリコンバレーに開発拠点として100%子会社を設立しました。そこでは開発から事業化まで行うことを目指し社長としてマネージメントに従事しました。しかしこれも、現地の事情を理解できない親会社の意向で、大型プロジェクト受注に成功しかかっていたにも関わらず会社閉鎖の方針がだされ、1994年に会社を閉鎖する事となったんです。その後自分が意思決定できる会社を作ろうと思って、1996年DVDのオーサリングソフト会社、Spruce Technologies, Inc.を自ら起業、ゼロから立ち上げたんです。幸いこの会社の商品は広くDVD制作業界で使われる事となったのですけど、諸般の事情でその会社を2001年アップルに売却することにしました。
Q: 定年まで同じ企業に働いていたそうですが、辞めようと思ったことはありますか?
A: 何度も思いましたし、そうしようとしました。しかし会社を辞めることは罪悪という認識が会社にはあって、その話をする度に止められました。その理由が、私にとってどうこうというのならまだ良いのですが、会社に対するモラルが低いとか、上司の顔に泥を塗るのか、とかお説教されたりしました。つまり部下が会社を辞めるのはキャリアパスの一部だと言う考えはまったくなく、部下の退職は上司の責任と言う考えだったと思います。今、会社は、辞めると言う人がいたら喜んでOKするでしょうね。
Q: 日米の技術者の技術に対する思い入れの違いは?
A: シリコンバレーの技術者は基本的には自分で開発してきた技術を自分のものとして捉えていて、それをビジネスに結び付けていこうとするモチベーションが高いですね。また、ここの技術者はそのアイデアのコアを作ったのは俺だ、という意識があるのですが、日本では技術は会社のものであって個人のものという認識、自覚はあまりないです。
Q: 日米の技術者の会社に対する思い入れの違いは?
A: 日本では『うちの会社』という言葉や概念が強く、いつも会社の一員であるという認識が強いですね。ここで『My company —』と言ったら相手は『That’s Great! What company is it? 』って聞いてきますよ。つまりここの技術者が『My company—』と言ったら、自分が経営、もしくは少なくともコアとして動いている自分の会社のことを表してしまうのですよ。ここの技術者が重視するのは今の「会社」ではなく、むしろ『my background』とか『my skill』ですね。今いる会社は日本のように定年まで勤めるのが理想と言うより、あくまで自分のキャリアの実現のための一ステップと言う考え方です。
Q: なぜシリコンバレーを選んだのですか?
A: 実は、43歳まで日本を離れたことがなかったんですよ。嘘みたいに思うでしょ?最初に海外に行ったのはオーストラリアへの出張でした。ここに来た時は、シリコンバレーという場所に対するこだわりはありませんでしたが、今はここでもう少しやっていきたいという気持ちです。というのはシリコンバレーは動きが日本に比べると遥かに速いからです。つまり、日本だと10年20年という長いスパンでプロジェクトを進めるから、私のような年齢の人間にとっては、そんな未来に自分がどうなっているか解らないので実際厳しいですよね。ここだと自分の思った事をパッパッパと決めて良くも悪くも数年で結果を出せます。
Q: むしろ年齢が高い事がメリットになっていますか?
A: いや、やはり若いに越したことはないですね。若い方が体力もありますし、順応性が高いし、将来性も大きいですから。歳を取ったらそれだけ大変だし不利ですよ。
Q: 速いとは具体的にどの位ですか?
A: 具体的な例で言うならば6ヵ月と3日間、おおよそ60倍の差がありました。前に経営していた会社に出資する話を日本のある企業と進めていたのですが、交渉に6ヵ月経ってようやくサインしましょうとなりました。しかしその後トラブル(訴訟)があって更に5ヶ月契約は結べませんでした。その後結局は、こちらの会社であるアップルコンピューターに売却したのですが、その交渉では、CEOのスティーブ・ジョブスと直接交渉だったので、最初にApple側からSpruceを買いたいと会いにきてから3日間で合意の握手までたどり着くことができました。
Q: その違いはどこで生じるのですか?
A: 日本の文化では交渉の場で周りから話していき、いきなり核心に触れることがないですよね。また合意したのかしてないのか曖昧なまま終わる事がよくあります。ここでは最初に結論から話すんですよ。 Appleも最初から買う気で自分の所に来ました。日本だと何となく会ってお話がしたいっていうのがあるでしょう?あれはこっちではありえないと思いますね。


また他の原因としては意思決定のプロセスがまったく違うということでしょう。Appleでは、CEOのスティーブ・ジョブスが私と直接交渉をして決めてしまった。つまりトップは中身を理解していて即断即決できるという事ですね。アップルほど大きな会社が、例えトップであっても1人でそこまで決めるというようなことは日本では考えられませんよね。このスピード、つまり意思決定のプロセスは日本も大いに見習うべきだと思います。
Q: 会社のプロジェクトに対する個人の権限の違いは?
A: 日本では個人ではなく会社がやったという認識なので、せっかく自分が努力して作り上げたものでも、「会社の看板を背負っていたからできたのであって個人ではできなかった」と言われてしまいます。実際はそういうことはないのに。ここでは個人がそれぞれの領域の責任と権限を持っていて、その領域内のことは自分で決めていきます。また、その成否は直にその人の評価につながっています。
Q: 定年後にシリコンバレーに来ることに強い決断が必要だったのではないですか?
A: 決断はどんな時も必要じゃないですか。定年というのは仮想的というか人工的に作った事象であって、その年、その日になったから何か身体的問題が発生するわけではない。別にその日に病気になるわけでもましては死ぬわけじゃないですよね。むしろ定年という転機で社内でのレールがその日からなくなるのだから、新しい多くの選択肢から自分の意思で将来を決断することができる。その一つに私みたいな形があっても良いんじゃないですか?決して他の人に無理に勧めようとは思いませんが。それより新卒後の進路決定の方が決断という意味では大きいですよ。今は変わりつつあるのかもしれないですけど、なんとしても大企業に勤めなきゃとかという考えがあるのでしょう?
Q: シリコンバレーに来て初めて実現できた事は何ですか?
A: こちらに来るまでは、プロジェクトを作り上げても、それがいざ本格的に立ち上がろうとする段になると「曽我君ご苦労さん」となって外されてしまったんですよ。だから自分の思い通りになるだろうと思って100%出資の子会社をこっちに作った。海の向こうなので日本にいた時より自由にできるだろうと思っていたのですけど、実際は日本本社の殆ど面識のない係長が担当になり、彼が事実上の意思決定をするという構造になっていました。それで全然効果的に機能しなくて、大きな契約を2回も断念し、結局は清算されてしまいました。それなら自分の意思決定でできる会社を自分でやろうと思いました。そしてそれを実現したんですが、勿論それはそれでいろんな問題がありましたが、ともかく自分の判断でスピーディーに物事を決定できたのはよかったと思います。ここでは自分が決め責任を取れるなら何でも出来る、そんな自由があるんですよ。そこが日本のようなしがらみの社会とは違うところです。
Q: 英語に苦労しましたか?
A: 勿論今でも完璧どころか大変苦労しています。また言葉のみではなく言葉の裏にある文化を理解していないと本当に理解できないことがたくさんあります。まあしかし完璧である必要はなく間違えても良いという割り切りがあれば大丈夫ですよ。
Q: 人種のダイバーシティに対してはどう思いますか?
A: ここではダイバーシティが非常に高いので多様な考え方が存在することを認識しなければなりません。シリコンバレーにいる人のうち1/3はアジア系の人ですから、差別していたら他人と付き合う事はできません。しかしアジア系と一口にいってもまったくお互いにカルチャーは違いますから自分を表現しないと理解してもらえませんね。日本人はCommunicationが足りない傾向があるんですよ。
Q: ここの人はアピール力が高いと言われますが。
A: アピールすることは教育の一端として行われているんです。自分の個性を活かし自分の持っているものを最大限に活かすために、それにふさわしい表現をするテクニックを教えているんです、大変な競争社会ですからねここは。リクルーティングに使う経歴書や対人関係を円滑にするスマイルも非常に上手いですよ。過剰と思われるアピールもありますけど、それはそれで受ける側で見抜かなければならない。見抜けなかったらそれはその人の責任なんです。また、コミュニケーション能力が高く、よく話します。
Q: 話し合いの際求められる事は?
A: 自分の意見ははっきり主張し、それに対してその場の誰が決められるのかはっきりさせる。また自分の権限で何が決められるのか、自分は何を知りたいか、相手は何を知りたいのか?等をはっきりとさせておくことが重要ですね。その場で決める事ができないことはあまり話しません。
Q: ここのネットワークの作り方は?
A: 交流の場(networking party)がたくさんあるんです。私が代表をやっているSVJEN (Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network) もその一つです。この種の交流会は毎日どこかで色んな規模で行われ、その場のテーマに興味のある人達が集まります。そこに集まった人同士、それぞれ自由に話しながらそれぞれの仕事やアイデアの交換をしながら握手して顔見知りになっていく、それを繰り返す感じですね。日本人に関して言えばシリコンバレーにいる人のほとんどが派遣社員なので企業秘密等の理由でなかなかOpenな話し合いができていないのが現状ですね。
Q: 他のアジア人と比べて本国とのnetworkはどうですか?
A: 中国やインドの人達は個人で来ている人が多いので帰国してから自由にnetworkを作っているのですけど、日本では派遣社員が多いので社外の人達とのネットワークは今の所なかなか出来ていないのではないでしょうか。でも今後は変わってくるでしょう。

インタビュアー感想 :池田森人

日本においてできなかったやりたい事ができるようになった今、非常にアグレッシブに活動なさっている曽我さんからはその年齢を感じさせない楽しさと強さを感じました。昔より格段に選択肢が広がった今、私もその恵まれた環境を再認識していかなければと思いました。

インタビュアー感想 :石戸奈々子

いきいき輝いた曽我さんの瞳からは非常に力強いものを感じました。定年をむかえてレールがなくなった、定年をむかえた後だからこそスピードの速いシリコンバレー、と全てを前向きにとらえ、その時々のベストの行動と環境を選ぶ姿勢に感動しました。