ラジオ少年時代からのモノ作りへの夢を持ちつづけた渡辺さんは、長年大手の日本企業に勤務された後、外資系の大手企業を経て、仲間と夢の機械を作るべく起業されました。インタビューを通じて大企業の良かった点悪かった点や、起業をしようと決めたときのから現在までの、モノ作りに賭けるストーリーを伺うことが出来ました。(インタビュー日:2002年6月14日)
プロファイル
渡辺誠一郎
NuCORE Technology CTO
慶應義塾大学工学部を卒業。『モノ作りに携わたい』という思いから、日立メディコに就職。10年目にインテルへ転職し、その後自らの商品を製造販売するべく、NuCORE Technology Inc.を立ち上げ、現在同社のCTOを努める。
- http://www.nucoretech.com
インタビュー
Q: 大学を卒業されて、就職なさる時にはもうモノ作りを一生の仕事にしようと思っていたのですか?
A: はい。もともとエンジニアになるのを自明のことと考えていました。小学校のころから、ラジオのアンプを組み立てたりしていましたから。モノ作りが大好きだったのです。
Q: 大企業にお勤めになられて、良かったと思った点はあります?
A: 大企業である日立では自分の好きなものを作れるわけではありません。しかし、製品が量産されて使われることで、ユーザからのレスポンスを早く貰って改善できる。エンジニアにとってはいい環境であったと思います。
また、私のいた会社では工場プロフィット制といって、1つの工場が1つの企業のようになっていました。そして、全工場のエンジニアのトップが集まって合宿をする企画があり、7年目に参加したのですが、そこで受けた衝撃は大きかったですね。何年か勤めて自信がついた時期であり、集まった人間達もそれぞれ自負があるのですが、皆本当にすごい人たちばかりでした。まだまだ上には上がいるのだと思いました。エンジニアとしての刺激になりましたし、そこで知り合った人との人脈は今でも大切にしています。今の会社に関わっている人の中にもいます。
Q: 逆に悪かったと思った点はありますか?
A: 会社に対する大きな不満はなかったですね。ただ、1つあったのは、大企業だからというわけでは無いのですが、IC部品1つ1つまでは自分では作らず(当然ですが)、他社から買ってそれを組み立てている事です。エンジニアの私にとっては、プラモデルのキットを買ってきて組み立てているように思えました。当時のチップはアメリカ製のものが最高でしたから、それを使っていたのですが、その新製品が実際に出た際に前もって約束されていた性能が充分でない、あるいは一部機能が変わるなどのために、私の設計そのものにも変更を余儀なくされることが多々あり、隔靴掻痒の感が募るばかりでした。もう一つは品質に関する不満です。一生懸命自分がチップを探して、実験して使い込んで、やっとそれを製品として世に出したら、チップでの不良が起きたのです。しかし、チップ製造元であるアメリカの会社の対応はあきれるほど悪いものでした。こんな経験を積み重ねているうちにチップを作る側に行ってみたいと感じ始めたのです。
その矢先に、インテルで品質管理マネージャーのポジションにつくことができたので、次の10年をインテルで過ごすことになりました。
これまでのエンジニアとしての経験から私が言えることは、初めから小さな会社あるいは外資系の様に極めてダイナミックな会社に入るよりも、大企業に入ってある程度自分を育ててもらうのも大事なのではないかということです。特に物を作る現場ではある程度時間をかけて経験を積まないと身につかない事だらけで、机上の空論だけでは 何も出来ません。人それぞれの考え方はあると思いますが、大きな会社では何も得ることがなく磨り減るだけ、ということはない。考え方次第では、大きな会社にいたからこそ身に着く事もあると思います。
Q: インテルに移られたわけですが、日本の大企業とシリコンバレーの大企業で何か違いを感じましたか?
A: 実は、私は英語が苦手でした。英語で2年も落第したほどだったのですから(笑)。技術者だからスペックシートが読めればいい位の気持ちだったのですが、毎週のウィークリーレポートが英語で、半日以上かけて書いていました。もう、泣きそうでしたよ。そういった笑い話のような言葉の問題にもショックを受けましたが、それよりも大きかったのは、コーポレートカルチャーの違いからのショックです。
Q: 渡辺さんが感じた、コーポレートカルチャーの違いを詳しくお聞かせください。
A: 結論から言ってしまうと、全然違う世界があった。仕事の進め方をはじめ、仕事に関するルールが日本とは全く違いました。また、出張で初めてアメリカへ来ました。そのとき、飛行機から見た地面の色が違ったのです。日本は緑ですが、こちらは土色の荒野の上で、懸命に人々が生きる為の土地を確保しながら働いている印象を受けたのです。
仕事面では、出張でアメリカに来た人間に対して机くらいは用意してくれるのですが、後は全て自分でやらなくてはなりません。しかし、上下関係があまりなく、組織がほぼフラットでしたから、明確な目的と問題点を伝えれば、それに関係した人がスピーディーに動いてくれました。そういった経験を通じて、個人としての仕事の仕方を学んだと思います。
毎年組織が変わることにもショックを受けました。日本では数年は一つの部署や課にいるものですが、それが毎年変わってしまうのです。また、上司と直接の面接を下の者から申し出ることができる制度からも刺激を受けました。
Q: 上司との面接の際言われたことで、何か印象に残ったことはありますか。
A: 上司から『おまえは仕事をエンジョイしているか』と聞かれたのです。そんな概念を聞いたのは初めてでした。そして、『はい、面白いです。』と答えると、上司は『ならいい!』と言ってくれました。この時、仕事は楽しくなければならないということを確信しました。あとで判ったことですが このような場合、もし「面白くない」と答えていたらどうなるか? というと「理由は? 私がどのようにしてその問題解決に協力できるか教えてくれ」と来るわけです。
Q:インテルをやめていよいよ起業されたわけですが、起業されるまでのお話を教えてください。
A: 何でも言い合える、モノを作るのが大好きな仲間と、昔からしばしば、『こんなのがあったらいいなあ、こういう技術は作れるぞ!』などということを語り合っていました。当時は夢に関する技術アセスメントをやっては消して、の繰り返しでした。ただ、キーポイントになることは書き留めておいたので、それを繋ぎ合わせたら会社の構想になっていったのです。外界を認識する機械を作りたいということと、アメリカのベンチャーキャピタルから出資してもらい、シリコンバレー型のベンチャー企業として成功させようということは皆の共通認識になっていました。ただ、そうなると 基本的に私企業ではなく株主という他人の資金を元にするので 大きなリターン、すなはち大きなビジネスがなくてはならない。そのためにいったいどんなマーケットがあるか、というところで皆しばらく沈黙したのですが、その時に誰かが『カメラ』と言ったのです。ちょうどそのころ、ほとんどおもちゃに毛の生えたような物でしたが、デジタルカメラなる物が市場に出始めた時期でした。それで、カメラならある程度のビックビジネスになるという結論に達し、いよいよ起業したのです。そのときにできた構想が今でも会社の事業の根本となっています。
Q: 実際に起業する際に障害になったことはありますか。
A: まず、言い出しっぺとしての葛藤がありました。こんなハイリスクなことに友人やその家族を巻き込んでいいのか、ということです。仲間も会社を辞めて一緒にやるわけですから。でも、それは『自分と一緒にやって欲しい』と言えるように、私自身のコンフィデンスレベルを上げることで乗り越えようと思いました。心理的な障害はそのようにして解決していきました。ビザの問題や、本当にVCがつくのかといったことから始まって、今にいたるまで、またこれからも障害は山ほどありますが、いちいちめげていては、前に進めなくなってしまいます。わけのわからない暗闇の中を駆け抜け、それでも走り続けるとある時ズバッと光が現れるという『マドル・スルー』を楽しむ感覚を身につけることが大切です。
Q: 起業先としてシリコンバレーを選んだのはなぜですか
A: 半導体の会社を作ろうと思った時点で、起業そのものがハイリスクですから 他のリスク要因は極力下げると言う意味で まず設立場所としてもっともふさわしい環境(半導体ベンチャー育成環境)としてシリコンバレーに本社を置くのは自然に決まりました。 また、開発設計者の流動性が高いのも大きな魅力でした。具体的にいえば、エンジニアの人材流動性に加え、弁護士や投資家達がすぐには見返りを求めないという、フレキシブルな社会的サポートがあるということです。つまりは、自分でコントロールできるリスクをできる限り低くできる場所であると考えたのです。
Q: 日本にも本部を置いていらっしゃる理由は?
A: 日本企業が主な顧客である私達にとっては、リアルタイムで常に顧客と密接に対話が出来る環境が重要だからです。 これは問題が起きたときの対応だけでなく、製品を企画する際に顧客が将来どのような機能性能のものを必要としているかを顧客と共に考えることが出来るか否かで、殆ど成否が決まってしまうと考えているからです。
Q: 渡辺さんのビジョンを教えてください。
A: エンジニアとして私達が世の中に提供できるものは、人間の使う道具です。この会社で究極的には、道具に外界を認識する能力を持たせたいと思っています。今の道具は外界を認識していません。道具を使う人間が認識しているのです。人間がいないと道具は暴走してしまいます。今までの技術は目覚しい進歩を遂げてはきましたが、それは全て、人間の身体の機能拡張にすぎないと思うのです。機能を拡張されたパワー倍増装置は、そのパワーが一体外界に対して何をしているのかを知りません。しかし、そのようなパワー倍増装置にはセンシングやオブジェクトを認識する技術が必要です。私たちの会社では、外界を認識する一つの要素として、目に相当するものを取り上げています。目の機能を備えた車などが一つの応用例と言えると思います。自分が作ったモノが、世の中に出回り、多くの人たちに使ってもらえるようになることが最大の喜びであり、私の活動を支える原動力です。
■ インタビュアー感想 :石川 智子
ラジオ少年の頃から直向にモノ作りに打ち込まれてきた渡辺さんのお話をきいて、便利になった世の中の裏ではこのようなエンジニアの方々の努力があるのだという事を改めて感じました。個人的には、『目』の機能を備えたデジタルカメラや車の登場が楽しみです。
■ インタビュアー感想 :池田 森人
自分個人の技術力と語り合える仲間、明確な夢とそれを成功させている事実。渡辺さんほど、技術者としての成功をここまで痛烈に感じさせてもらえる方には、今まで会った事がありませんでした。感度しました。お話を伺って私自身、本当にやりたい事を考え、渡辺さんのようにモノを作っていくエンジニアになりたいと感じました。
■ インタビュアー感想 :石戸 奈々子
渡辺様のお話には感動した、の一言に尽きます。渡辺様の目の輝きは本当に忘れられません。今までの自分の生きてきた道を楽しそうに生き生きと語る姿から自由で夢のある生き方を感じました。全速力で駆け抜けていて、仕事が楽しくてたまらないといった印象を受けました。言葉がこれほどまでに人を感動させるということに初めて気がついた気がします。それが、夢を持って、自分の実力で勝負をしている方々の言葉の重さなのでしょう。
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