「日本企業とシリコンバレー世界は水と油ほどにも違う。どちらにもいいところがあり悪いところがある。その水と油を何とかかきまぜて、新しい価値を生み出すこと。その仕事を日本企業の側にたってサポートする」というのが梅田さんのストーリー。そこに至る経緯、シリコンバレーの仕組みについてお聞きしました。(インタビュー日:2002年6月12日)
プロファイル
慶応義塾大学工学部卒、東京大学大学院情報科学修士。アーサー・D・リトルで経営コンサルタントを経験、そこでシリコンバレーに接する。現在はシリコンバレーでコンサルティング会社とベンチャーキャピタルを経営している。
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インタビュー
Q: シリコンバレーにいたる簡単な経歴をお聞かせ頂けますか?
A: 僕は慶応の一貫教育で育ったので、中学生(1970年代)の頃から、メインフレーム(大型計算機)のプログラムを書いたりしていました。そして慶応大学から東京大学大学院へ進みました。コンピュータ・サイエンスが専門だったので、シリコンバレーは昔からずっと憧れの土地でした。その後、米国のコンサルティング会社、アーサー・D・リトル社に入社し、シリコンバレーと直接行き来するようになり、94年から同社のシリコンバレー事務所を任されることになって、こちらに拠点を移しました。グリーンカード(米国永住権)を取得してから、97年に独立しました。
Q: 1970年代といえば、コンピューターは珍しくなかったですか?
A: 最近は中学生のときからプログラムを書くなんてことは珍しくはないだろうけど、1973年、僕が中学に入学したときは大型計算機の時代。PCなんて陰も形もないころだから、珍しかったですよ。慶応大学の情報処理センターが中学生にも限定的に開放してくれていて、その機会を利用しました。そういう環境から日本のコンピューターサイエンスの草創期の人がずいぶん出たような気がするなぁ。だから大学を卒業する頃には、プログラムを書くということでは一応10年選手になっていました。その頃の世界のコンピューター業界で何が起こっているか、インテルやアップルが世界を変えようとしていることは知っていたし、・・・シリコンバレーは聖地でしたよ。
Q: 結局、技術を極めるのではなく、コンサルティングファームに就職されたのはなぜですか?
A: 大学院に入った頃に、自分はプログラムを書くことには向いていないのだなぁということがよくわかったのです。そういう技術的専門を深く極めていくよりも、ビジネスを含めたトータルのことをやりたいだと思いました。それまでにやってきたコンピューターの技術や産業知識をビジネスに活かそうと思っていた時に、アーサー・D・リトルに出会いました。
Q: なぜ、アーサーDリトルにしたのですか?
A: アーサー・D・リトルは経営コンサルティング会社でしたが、「技術と経営の接点」みたいなことを標榜していました。人工知能関係の受託研究もやっていた会社なので、なんとなく親近感があった。MBA取得者と技術系修士取得者を区別していない会社だったことも理由の一つでした。
Q: 10年間も続けたプログラムを書くことに、なぜ向いていないと思ったのですか?
A: 慶応や東大の同級生や先輩たちの中の、本当に優れた技術者にたくさん出会いました。日本には本当に優秀な研究者、技術者がたくさん居ます。だから、「電子立国・日本」を築くことができたわけですね。彼らの技術を極めていこうとする精神は並大抵のものではなかった。技術の世界以外にも興味や好奇心が強かった僕は、じゃあ少し人と違うことをしよう、トータルな自分を表現できる仕事をしたい、という気分があるときから強くなりました。
今でも日米を比較して、エンジニア個々の実力が日本よりアメリカが凄いという議論があるけど、僕はそのようには思っていません。IT産業の競争力の差は、むしろ経営や組織の問題。ここが僕の立脚点です。日本企業にコンサルティングをおこなっているのも、経営や産業構造さえ変われば日本に再び競争力がでてくると確信するからなのです。
Q: 実際にシリコンバレーに出会ったのは何時ですか?
A: 80年代後半、まだ駆け出しのコンサルタントだったとき、アップル・コンピュータの日本戦略の仕事を担当しました。それでシリコンバレーのアップルの本社によく出張で来ました。憧れの地の「あまりの生活環境のよさ」(気候、自然環境、自由な雰囲気、ETC)に仰天しました。それで一度、どうしてもシリコンバレーの近くに住んで仕事がしたいという思いが強まって、アーサー・D・リトルの社内交換制度(エクスチェンジプログラム)に応募して、1992年にサンフランシスコに来ました。実際に一年間サンフランシスコに住んでシリコンバレーを研究してみると、シリコンバレーの仕組み(開放性、知識が流動すること、他のスキルをもった人と一緒に仕事をするのが楽なこと)などは、日本にない素晴らしさだと思いました。
日本のよいところに、シリコンバレーのよいところをうまくミックスできれば、日本企業もこの厳しい競争の中でサバイブできるのでないか。そんな僕の「経営コンサルティングのコンセプト」が生まれたのは、この頃、つまり、今から十年ほど前でした。
Q: 研究者・技術者が今後、ビジネスとの接点で成功するには?
A: 研究者・技術者の人は、自分が次の二つのどちらのタイプかを見極めることが大切だと思う。一つは、ある特定領域において超一流ともいうべき技術を磨いていく道。もう一つは、技術の強みを活かしつつ幅広くビジネスの勉強をして、技術とビジネスとの接点においてどんな難問が自分の前に現れても解いてやるぞ、というだけの自信をつける道。もう少し広い言い方をすれば、「自分はこれをやりたい。これしかやりたくない。だからそのことについては世界一を目指していく」というのが「第一の道」で、「世の中にはいろいろとおもしろいことがあるからきっとこれからそういうものに出会うはず。そんな機会を目前にしたときに十分に対応できる実力をつけよう」というのが「第二の道」です。
「第一の道」と「第二の道」のいずれを選ぶかは個性の問題だと思います。シリコンバレーには、この「第一の道」を選んで生きている人と、「第二の道」を選んで生きている人がそれぞれたくさん居て、「第一の道」ですごい人が居ると、そのまわりに「第二の道」の人たちがたくさん集まってビジネスにしてくれるのです。ここがおもしろいところです。
Q: シリコンバレーのエリートコースは「エンジニアのバックグラウンドがあって、MBAもとった人」と聞いたことがあるが?
A: それは「第二の道」の人のことでしょう。エリートコースであることは事実だけれど、そういう人たちばかりではパワーが出ません。本当に価値を生み出すのは「第一の道」を極めている人たち。つまり技術を突き詰めている人たちでしょう。
Q: 日本では技術を突き詰める=社会と乖離してしまうような印象をもつが、何が原因か?
A: 「第二の道」の人材の層の厚みの問題かもしれません。「第一の道」の人が「第二の道」の人となかなか出会えない、一緒に仕事ができない。流動性の問題も大きいですね。「エンジニアのバックグラウンドがあって、MBAもとった人」に近い能力を持つ人は、日本の大企業にたくさん居ます。その人たちが日本では流動しないので、技術を突き詰めていく「第一の道」の人たちが社会と乖離するように見えるのかもしれません。日本企業が上り坂にあったときは、日本企業社会の中で、「第一の道」の人材と「第二の道」の人材がうまく融合して大きな事業を生み出していました。それが今は、一部の企業を除いては制度疲労を起こしていて、「第一の道」の人材と「第二の道」の人材が企業内でなかなか一緒にいい仕事ができなくなっている。そしてまた企業の外で、市場を通してそういう人たちが出会えるようになるまでには流動性が高まっていないのが、日本の問題でしょう。
シリコンバレーは250万の人口、135万人の就業者がいます。そのうち上位レベルの技術者や経営者、管理者が30%としても、約40万の人がIT、ナノ、バイオといった分野で流動していて、他の国からの頭脳も常に流入している。「第一の道」をいく技術を突き詰めている日本人や「第二の道」で自信のある頭の切れる日本人がたくさんシリコンバレーに流入してきたら、おもしろいと思う。その人たちすべてが「何かをはじめるときには会社を作る」というルールで動くのです。
Q:「会社をつくる」というルールですか?
A: 何か(知的財産、アイデア、技術)をベースにまず会社をつくる。そこに、人を入れて、金を入れて、その何かをビジネスに結びつける。これがシリコンバレーのエッセンス。この「会社を作る」という事が皆の力を結集するための普遍的な方法になっている。例えば、良い技術を開発した大学教授がいると、その技術のまわりに会社を作る。教授は別に大学を辞めなくてもいいから、たとえばCTOになる。ベンチャーキャピタルは資金を入れ、経験豊富なCEOを呼んでくる。技術者達は開発するのにフンダンにお金が使えるのでジョインする。そういう、技術者は本当に技術に特化してそこだけをやる。こういう仕組みは、もちろん本当は会社を作らなくてもできるかもしれないけれど、「会社という枠組みを作る」というモデルでやるのがもっとも効率がよいと、ここシリコンバレーでは信じられているわけです。
Q: 会社を作ること=お金儲けではない?
A: 何かをはじめるときに「会社を作る」ことが常識になっている。会社はプロジェクトと考えたほうが良いのではないかな?そのプロジェクトはどこでやると効率が良いのか?成功の確率がいいのか?最も競争力のあるのがシリコンバレーのモデルだと僕は思う。
Q: なぜ、競争力?
A: 人材の層の厚さ。そして、会社の創造を通してプロジェクトを大きくするノウハウの蓄積。
Q: ノウハウとかは本にも載っているのになぜシリコンバレーなんですか?
A: 人の問題が大きいでしょう。ありとあらゆるスキル、レベルの人が集まっていて流動しますから。
Q: こういう人たちはどこで接点を持つのですか?
A: 例えば、技術者のネットワークが会社を超えて存在する。ここが日本とは全然違うところ。僕の知り合いで「第一の道」を極めている液晶ディスプレイの技術者がいて、10年に一度のイノベーションがでた。その発明者はまず勤めていた会社をやめる。それは当然。ここで会社を作ります。そして技術者のネットワークのなかで先に成功して小金をもっている人がその会社にエンジェル的に投資をする。例えば、「プロトタイプ作ってごらん」って。その後、VCがその会社に投資して、本格的に開発がスタート。そしたら、エンジニアはそのネットワークからすぐ集まってくる。プロトタイプができたら、営業のスキルをもった人がVP of Salesになり、経験豊富なCEOも呼ぶ。このへんから「第二の道」の人たちを入れていくわけ。そうすれば、20人くらいでも「世界に向けて勝負できるいいチーム」ができあがるんだよね。これがシリコンバレーのベンチャーです。
Q: 人材の質は日本と違いますか?
A: 本質的には違わない。流動性だけ。日本の大企業の人が流動したら、日本でも同じようなことが起こると思う。日本では、一回でも会社を辞めたことのある人の職業観と最初に勤めた会社にずっと居る人の職業観とでは全然違う。若い世代では意識変革が起こり始めているけど、一回会社を辞めたことがある人がどんどん増えると、ずいぶん違ってくると思う。日本だと「会社を辞めること=路頭に迷うこと」のような表現があるけど、一回でも会社を辞めたことがある人はそんなふうに思わないのではないかな。日本でも流動化は起こりはじめているから、日本の10年先の未来がシリコンバレーにあるといってもいいかもしれません。流動性が高まると、日本もこちらの感覚に自然と近くなっていくと思う。
Q: 日本では流動するのが損と聞いたことがあるが、シリコンバレーは流動することは得?
A: 得とか損というのは一概にいえません。ただ、これからの世の中では、何か(たとえば会社)に依存して生きていくよりも、「自分のストーリー」をきちんと持って生きていくほうがリスクが小さいのではないかな。シリコンバレーは流動するから、常に自分のストーリーを定義する必要がある。自分には何ができるのか?そういうことを常に自分に問い続けながら、30代から50代くらいまでを生きていく。その中でエキサイティングな環境や面白い人と出会い、運が良ければリッチにもなれるかもしれない。
Q: サバイバル術としての『自分のストーリー』について教えて下さい?
A: 僕は、技術の道を極めているわけではないけれど、さっき話した「第一の道」「第二の道」の議論でいくと、「第一の道」に近いです。 「自分はこれをやりたい。これしかやりたくない。だからそのことについては世界一を目指していく」ということです、一応。僕は、「何でも難問を持ってきてください。解きますから」というタイプではないので「第二の道」タイプの人とは価値観が全く違います。
「日本企業とシリコンバレー世界は水と油ほどにも違う。どちらにもいいところがあり悪いところがある。その水と油を何とかかきまぜて、新しい価値を生み出すこと。その仕事を日本企業の側にたってサポートする」というのが僕のストーリーで、この分野については自信をもって仕事をしているわけです。
Q: 自分のストーリーの利点・欠点は何ですか?
A: 一般に、僕も含めて、「第一の道」タイプの人のストーリーはつぶしが効かないという欠点がある。だから逆に専門性を磨いて磨きぬいてとんがったものにして、ストーリーをアイデンティカルで自分にしかできないものにしていく不断の努力が必要になります。それができないと食えなくなる。ただそれができて何かの旗を立てることができれば人は集まってくる。反面、「第二の道」タイプの人には色々なオポチュニティーがあるのが利点ですが、逆に「第二の道」タイプの人たちはたくさん居ますから、「地頭(じあたま)のよさ」を競う競争が、それはそれでとてつもなく厳しくて大変、というのが欠点でしょう。
Q: 「第一の道」を行く人の性格的な特徴ってありますか?
A: 「自分はこんなことはやりたくない、こんなこともやりたくない、やりたいことはこれ」という、やや自己中心的でわがままな人が多いのではないかな。
Q: その性格でキャリアパスが決まるのでしょうか?
A: 一概には言えませんが、自分の性格を見極めて、「第一の道」を目指すか「第二の道」を目指すかを決めるという考え方は大切なのではないかと思っています。シリコンバレーという場所は、「第一の道」を行く人と「第二の道」を行く人が絶妙な役割分担をしている場所のような気がします。
Q: 日本の技術系の若手へのメッセージはなんでしょうか?
A: 僕が最近書いた文章をまず読んでみてください。
http://www.mochioumeda.com/archive/sankei/020510.html
この文章は産経新聞の「正論」という欄に書いたもので、日本全体に向けてのメッセージだったので、「若い頭脳を活用する環境つくれ」というタイトルがついています。でも、若い人の立場でこの文章からぜひ感じてほしいのは、若いときから「自分は大きな仕事が必ずできるはずだ」と信じて、常に、その実力が発揮できる最先端の環境を探して、世界中の人たちと競争したり協力したりしながら自分を磨くことを心がけてほしい。そしてそのための環境の一つとして、シリコンバレーという場所を意識してもらえればいいなと思います。冒頭にも言ったように、日本の若い人たちの潜在能力はとてつもなく高い。その潜在能力に刺激を与える環境を見つけてその環境に飛び込んで、才能を徹底的に伸ばし、個人としての国際競争力を高めてほしいと思います。
インタビュアー感想 :大野 一樹
『自分のストーリー』との言葉どおりに梅田さんの歩んできた道には一本の線があるように感じました。同時にシリコンバレーモデルの素晴らしさの一部を垣間見たような気がしましたインタビューで不十分は点は著書『シリコンバレーは私をどう変えたか−起業の聖地での知的格闘記』でフォローできます。
インタビュアー感想 :石戸 奈々子
自己分析を正確にし、自分の人生ということをとても真剣に考えている、という印象を受けました。梅田さんが盛んにおっしゃっていた「自分のストーリー」という言葉が強く胸に響きました。自分が何をしたいのか、どういう生き方をしたいのか、もう一度しっかり考えてみよう、そう思わずにはいられませんでした。
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